History


これまでの歩み


1977年、東京都に生まれ、2歳より沖縄県に移住。沖縄の社会問題である「家庭の貧困、子供の貧困、母子家庭」環境で育ち「なぜ学校に行くの?」という疑問を持ち不登校児童として義務教育を2年間のみ履修。国語、算数、理科、社会などの学びはすべて独学で行う。

15歳でカラオケ店の管理職を経験後、定時制の県立泊高等学校を卒業。その後20の職種を転職。国家資格含め20以上の資格を多数保有し、経営管理、金融、財務、会計、人事など幅広いビジネススキルを習得。

2002年にパソコン販売事業で起業。一度も赤字にならなかった経験から、多くの事業者に経営相談され、無償で経営アドバイスを行う。経営技術の向上のため、企業再生を専門とする沖縄県内企業にて経営管理業務に携わり事業管理や経営の仕組み化、業績改善などに携わる。国立琉球大学観光産業科学部産業経営学科に社会人入学2017年に中退。

2014年、沖縄にて株式会社シーズリーを設立。金融教育事業開始。創業スクールやWeb制作事業など11の事業を立ち上げる。社員一人あたり粗利3000万円を達成したPBF理論を開発。開業率ナンバー1の沖縄で必要とされる経営、起業が学べる創業スクール事業を2016年に立ち上げ、受講生の8割が事業業績が向上。

この実績をもとに全国、世界にPBF理論を普及するべく、2018年、一般社団法人日本パーソナルビジネス協会(JPBA)を設立し代表に就任。JPBAのさらなる普及のため、代表を交代し現理事としても活動中。

沖縄から青森、東京など日本各地、アメリカ、マレーシア、シンガポール、イギリスなど国内外での講演活動や経営戦略コンサルティング、経営リーダーの育成を行う。

私生活では、沖縄県に在住し、毎月、東京と往復し2拠点生活を送る。趣味は車やバイク、武術、武道など。レーシングカートの優勝経験があるほか、国内A級ライセンス保持者で2018年にポルシェケイマンGT4での初の国際サーキット走行(筑波、富士、鈴鹿)を果たす。武術では合気道(初段)、合気道の源流である大東流などを学んでいる。

2023年11月にキックボクシングを開始。2024年3月、元K-1王者の小比類巻貴之氏がプロデュースする「一流の経営者、ビジネスエリートが集い、リング上で戦うキックボクシングイベント」エグゼグティブファイト武士道に初出場を果たす。

2024年、世界で活躍する経営者として世界160か所の国と地域で配信されるNHK World Japan に密着取材される。

彼の人生は沖縄の社会問題の渦中にいた幼少期から社会に参画する経営者への変貌、沖縄から国内外へのビジネスでの活躍、事業投資家活動など挑戦と成長の連続であり、今もその挑戦は続いている。

「豊かな社会を共に創る」を理念とし、個人資本、社会資本、経済資本の豊かさの創出と、奪う、奪われる社会ではなく、共に創り、共に分かち合う心豊かな社会の創造のため、日々、理念達成のためのビジネス活動、経営リーダーの育成活動、プロボノなどの社会貢献活動を行っている。

また、不登校や豊かな社会を共に生きるための「生きぬく力」の講演、啓蒙活動、次世代リーダー育成と自己啓発のための武術、武道ワークショップも実施している。

Histry

NHK World Japan に
密着取材される

2023

全圏にテレビ
ラジオCMを開始。

・自社事業部にて売上2倍増、利益16倍増を達成。過去最高の年商を記録。

・テレビ、ラジオ番組、CMなど、マーケティング、ブランディングためのマスメディアプロデュースを行う。

・武術、武道、格闘技の世界レベルの達人に出会い、直接ご教授いただく

2022

沖縄トップリーダー
との交流

・沖縄にて監修した書籍の出版記念パーティーを開催。沖縄を担う政治家、経済界から参加者を含め200名参加

・監修3冊目の書籍「90日起業ワークブック」が発売。ジュンク堂ほか全国の書店、Amazonにて販売される。

2021

資本金
1000万円に増資

・旧体制「合同会社ミリオンズ」を株式会社シーズリーに組織変更。
資本金増資1000万円

・3年かけて作った新規事業を黒字売却

・未来を担う子供向けのボランティア、支援開始

2020

産経新聞にて
経営コラム執筆開始

・産経新聞(旧:サンケイビジネスアイ)にて経営コラム連載執筆開始

・新規事業のため駐車場100台超の物件を借りた直後にコロナショックで経済ストップ。事業開始3カ月で店舗を引き払い
事業撤退。

2019

18ヶ月、連続1位を達成

・専門家サイト「くくゆん」にて経営コンサルタントのアクセスランキング1位を
18ヶ月連続達成。

・ポルシェケイマンGT4にて初の国際サーキット走行(鈴鹿、富士、筑波)

・国内A級ライセンス取得

2018

経営人材の育成を開始

・一般社団法人日本パーソナルビジネス協会(JPBA)にて全国経営セミナー講演を開始。北は青森、南は沖縄、海外はマレーシアまで世界にて講演。

・JPBAにて経営コーチ、起業アドバイザー等、経営人材講師育成を開始。講師認定試験を行う。

・未来を担う子供向けのボランティア、支援開始

2017

ロイス氏クルーガー氏
との交流

・経営の教習所、一般社団法人 日本パーソナルビジネス協会(JPBA)を設立。全世界に独自開発の経営理論「PBF理論」の普及を開始。

・世界160か国に書籍「7つの習慣」を展開したコヴィー社の共同経営者、ロイスクルーガー氏と交流。日本での事業展開の全権限を渡される。

・法人経営者からの経営コンサルティング依頼が相談が増加し完全紹介制に移行。

・沖縄レーサー、平良響選手のスポンサード開始。世界選手権で優勝するなど素晴らしい功績を残す。(現在も活躍中)

2016

業績アップ率
88.7%

・沖縄県にて創業・経営スクールを開講。沖縄県経営革新認定事業、浦添市創業支援事業者に認定される。

・創業・経営スクールにおいて、受講者の8割が売上アップ。30名以上の受講者が受講中6カ月以内に月収100万円を達成。うち、6割が女性の受講者。

・女性の起業率が高く、廃業率が高い、母子家庭が多く生業としての起業をしている女性事業者の成功事例が圧倒的多数となる。

2015

東京展開

・沖縄にて投資スクール「沖縄トレード学院」を事業展開。沖縄県外からの受講者も増え、県外で出張授業も行う。

・投資スクールの東京からの需要に応えるべく「東京トレード学院」をフランチャイズ展開。

・証券会社より弊社独自の自動売買システム開発の投資ロジックの提供依頼があり、業務提携を行う。

2014

法人設立

・株式会社シーズリー(旧社名:合同会社ミリオンズ)を設立。経営理念は「豊かな社会を共に創る」役員報酬ゼロ、社員数ゼロからのスタート。

・沖縄にて沖縄トレード学院を開始。投資で大損する人を減らす、沖縄と県外の経済格差を無くす理念で活動をスタート。

2013-2012

自動売買
システムエンジニア

・投資自動売買システムのエンジニアとして投資における自動売買システム開発を開始。

・1300の投資ロジックをMQL言語プログラミングにて全て解析。データを元にリアルトレードを開始。結果、7つの手法に有効性があることを確認。

2012-2009

経営コンサルタント
開始

・企業再生に強みのある中小企業診断士事務所「おきなわ経営サポート」にて年商数十億円の企業の事業管理を担当。13事業の月次決算からの分析、事業助言を責任者として行う。

・企業再生案件も多く、中小企業の生死を間近で見た経験から「継続できる経営の仕組み」「十分な利益を出す経営の仕組み」を本気で企業再生に取り組む神谷所長より現場で学ぶ。

・その後、自ら経営者の立場に立つことを決意。同事務所を退職後、民間企業で専務役員となる。

2008-2002

経営アドバイス開始

・資本金2万円で起業。屋号「オフィスワークサポート」としてPC販売、サポート業務を行う。

・初年度より連続黒字を達成し、多くの事業者より経営アドバイスを求められる。すべて無償で経営アドバイスを行い、業績アップした会社が多数となった。

・しかしながら、クライアントも耳の痛いアドバイスは無料だと聞き入れづらく、結果、倒産状態になった会社も発生。無責任な無償の経営アドバイスをやめる決意をする。

2001-1998

レーサーを目指す

・自費で定時制高校に通い卒業。経済的な理由もあり大学に進学せず。

・19歳で広告卒業後、美容室サロン商材卸会社からスカウトを受け、同社に入社。社長との同行営業を行うなど、社長教育をみっちり受ける。

・レーサーになる夢を実現するため、沖縄でレース1位、県外遠征でも2位となり県外に移住、経済的な理由、心身の不調で夢を断念する。

1997-1993

職業人生開始

・普通高校を中退。15歳でカラオケ店の店舗管理を一人で任される。店舗オープンから受付、接客、清掃、キッチン調理、レジ締め、シャッター閉めまで一人で対応。

・アルバイトに明け暮れるが「一度くらい楽しい学校生活を過ごしてみたい」という動機から定時制高校に入学。

・生活費、学費を深夜勤務のアルバイトで賄いながら高校に通学。夜10時から朝7時まで勤務し、その後に通学。1日3時間睡眠だったため、当時の夢は「8時間寝てみたい」に変わる。

1993-1984

義務教育は2年で卒業
小中不登校

・小2で不登校になり、中3まで独学で読み書き計算を覚える。義務教育を2年で卒業。

・当時の不登校は学校で1000人中に2人程度の割合だったため、学校に行かない、それだけで子ども、教師からの目線が差別、いじめの対象やすく、不登校が続くことになる。

・14歳の時、肉体的な暴力を身を守る必要性を感じ、上地流空手道場に入門。1日スクワット1000回など厳しい修行をし、心身共に強くなる。

1983-1977

幼少期

・1977年、東京で生まれ、両親は離婚し2年後に母の実家の沖縄に生活拠点を移し、以後、沖縄で育つ。

・一人っ子の長男として生まれる。親川家は女系だったため、自分以外はすべて女性(母、祖母、おば)に囲まれて過ごす。

・小学校入学時に遠足で複雑骨折で入院。痰飲後、復学時に授業が自分の方が進んでいたことから「なぜ学校に行かなくてはならないのか」という漠然とした疑問を抱く。

誕生